人間の手のひらには汗腺があって、汗が出ています。汗には、水分、塩分、タンパク質、アミノ酸、脂肪などが含まれています。手が触れた所の指紋を取るには、これらの成分を利用して色を着けるのです。平らな場所では、アルミニウムの粉末が使われます。アルミニウムがこれらの成分に吸着するからです。表面が凸凹の場合、油で汚れている場合、古い指紋と新しい指紋でもうまく検出できるのか。感熱紙のような熱に弱いものではどうするのか。このような指紋検出についての多くの疑問が出てきます。汗に含まれるそれぞれの成分の検出方法について見てみましょう。
水分
シアノアクリレート
時間があまり経っていない時には水分が残っていますので、瞬間接着剤の蒸気を利用することができます。瞬間接着剤の成分はシアノアクリレート(cyanoacrylate)という有機化合物で、水分があると重合してポリマーになるので、水分が残っている指紋の部分にポリマーができ、立体的な指紋が浮かび上がります。ポリマーとは、プラスチック、繊維、ゴムなどの成分です。小さな分子のモノマーがたくさん結合(重合)して大きな分子になったもので、高分子(ポリマー、polymer)といわれます。エチレンを触媒を用いて重合するとポリエチレンになります。エチレンは水では重合しませんが、シアノアクリレートは水が触媒になって重合します。したがって、新しい指紋は検出しやすいですが、古い指紋は無理です。指紋が見にくい時は、蛍光染料でポリマーを染色してコントラストをつけます。
シアノアクリレートには次の表のように、色んな種類があります。
|
英名 |
特徴 |
用途 |
Methyl Cyanoacrylates |
硬くて強い |
金属の瞬間接着剤 |
R= -CH3 |
Ethyl Cyanoacrylates |
硬くて強い |
金属の瞬間接着剤 |
R= -CH2-CH3 |
Methoxyethyl Cyanoacrylates |
無臭 |
金属、プラスチック、ゴムの瞬間接着剤、化粧品 |
R= -CH2-CH2-O-CH3 |
n-Butyl Cyanoacrylates |
柔軟性、無臭 |
金属、プラスチック、ゴムの瞬間接着剤、化粧品、医療用接着剤 |
R= -CH2-CH2-CH2-CH3 |
n-Octyl Cyanoacrylates |
柔軟性、無臭 |
金属、プラスチック、ゴムの瞬間接着剤、化粧品、医療用接着剤 |
R= -CH2--CH2-CH2-CH2-CH2-CH2-CH2-CH3 |
家庭用や工業用の瞬間接着剤のほとんどは、シアノアクリレートのRがメチル基(-CH3)やエチル基(
-CH2-CH3)になったものです。これらは強くて硬い接着剤ですが、柔軟性が無いので、柔らかいプラスチックやゴムの接着剤としては適していません。このような用途には、柔らかなブチルシアノアクリレート(n-Butyl
Cyanoacrylates)が使われます。
瞬間接着剤は、傷口を接着して止血したりなどの外科領域や歯科領域で利用することができ、また、化粧品としての用途があります。この場合は、柔軟性があって、臭いが無く、毒性のないものが必要であり、ブチルシアノアクリレートやオクチルシアノアクリレート(n-Octyl
Cyanoacrylates)が使われます。シアノアクリレートの-CNは青酸カリ(KCN)と似ていますが、安定で猛毒の青酸(HCN)が出てくることはありません。しかし、メチルシアノアクリレートやエチルシアノアクリレートの場合は、分解してホルムアルデヒドとシアノ酢酸アルキルになりやすいので、安定なアルキルの大きなブチルシアノアクリレートやオクチルシアノアクリレートが使われます。
オクチルシアノアクリレートを傷口に使うと、柔軟性があり止血と抗菌性を示します。また、角膜の補修や歯茎の接着にも使われます。
脂肪
スダンブラック(Sudan Black)
スダンブラックは非蛍光性の脂肪分に溶ける染料(lysochrome)で、脂肪の結合したタンパク質の染色に用いられます。水には溶けないがアルコールには溶けるので、水-エタノール混合溶液で使用されます。スダンブラックは指紋を直接に染色し、感度はよくないが油で汚れた指紋には効果的です。
|
Sudan black B
C.I. number: 26150、水に不溶、エタノールに可溶、最大吸収波長:596-605 nm |
ゲンチアン紫(Gentian Violet)
ゲンチアン(gentian)とはリンドウのことで、Gentian
Violetはリンドウの紫ですが、メチルバイオレット(Methyl Violet)のことです。3つある窒素にメチル基が2つずつ、合計6個付いたものはクリスタルバイオレット(crystal
violet)で、5つのものはMethyl violet 6B、4つのものはMethyl Violet 2Bです。一般的にメチルバイオレットはこれらの混合物です。このようにGentian
Violetは混合物で色素の成分を表していないので、この名前は使わない方がいいでしょう。
メチルバイオレットは水にはあまり溶けませんが、エタノールにはよく溶けます。したがって、指紋の脂肪部分に溶解して紫色に染色されます。バクテリアの種類を区別するグラム染色(Gram's
stain)に使われます。
Methyl violet 6B
水への溶解性:2.93%、エタノールへの溶解性:15.21%、
最大吸収波長:583-587 nm
タンパク質
アミドブラック(Amido Black)
アミドブラックは血液中に含まれるタンパク質を暗青色に染める染料で、別名はNaphthol blue blackです。アミドブラックは水に溶けますが、メタノール溶液では強い染色力を示します。しかし、メタノールの毒性のため、指紋の検出には水溶液で用い、靴で踏まれた血液の検出などに威力を発揮します。
この色素をピクリン酸と一緒に使うと、コラーゲン(Gieson type法)や、フィブリン(Lendrum's Obadiah法)の検出に使うことができます。
|
C.I. number:20470、C.I. name:Acid black 1、最大吸収波長:618 nm |
ヨード(Iodine)
ヨード(I2)は褐色の結晶ですが、昇華性でヨードの蒸気がでます。ヨードはアミン、ベンゼン環、二重結合などがあると錯体を形成して褐色になります。ヨードによる着色は永久的なものではなく一時的なもので、時間が経つと消えてしまいます。ヨードとの錯体形成が平衡反応のためです。放置すると消えますが、ドライヤーなどを使うと、速く消すことができます。このような性質のため、ヨードを予備的な検出に使い、その後でニンヒドリン反応を行い、永久的な色素に変換するのがよいでしょう。
アミノ酸
ニンヒドリン反応
汗の成分のアミノ酸にニンヒドリンをかけて加熱すると、紫色の指紋が見えてきます。ニンヒドリン反応です。紙や布などの凸凹の表面でも、ニンヒドリンを使うと指紋が見えるようになります。ニンヒドリンで発色した指紋を記録するには、写真を撮るか、何かに移し取るかの方法があります。写真を撮るには、カメラに緑ー黄のフィルター
(560-580nm) を使うとコントラストが高くなります。
|
ニンヒドリン反応
|
ニンヒドリン+金属塩
ニンヒドリンで発色した指紋は見えにくく、時間が経つと消えやすいので、もっとはっきり見えるようにする方法があります。金属塩の溶液で処理すると色を変えることができます。ニンヒドリンの反応ででる紫の色を変えるのは、ニンヒドリンの誘導体を使わなくてはいけませんが、この方法は普通のニンヒドリンで色を変えることができます。亜鉛塩(Zn)を用いるとオレンジ色に、カドミウム塩(Cd)を用いると赤色に変えることができます。
このように指紋のコントラストを高めることができるのは、ニンヒドリン反応の生成物であるルーエマン紫(Ruhemann's
purple)と金属イオンが錯体を作るためです。Zn(II)やCd(II)を用いると、その錯体は蛍光を発し、そのために指紋がはっきり見えるようになるのです。染料は水に溶けますが、金属イオンが錯体を作ると溶けなくなり、色が安定化します。溶けなくなった染料は顔料です。染色では媒染という処理が行われます。金属イオンの溶液で処理するのですが、昔は灰が使われました。染料が金属イオンと錯体を作り、水に溶けない色素に変わります。したがって、色落ちがしないのです。
|
ルーエマン紫 + 塩化亜鉛 → 亜鉛錯体
|
方法は簡単で、ニンヒドリン反応を行った後で、亜鉛やカドミウム塩の溶液に漬け、乾燥させると着色します。蛍光を見るには紫外線を当てます。分子が動きやすいと蛍光が見えにくいので、液体窒素
(-196℃)で冷却すると、蛍光がよく見えます。プラスチックのお皿に資料を入れ、上から液体窒素を加えてやればよいのです。
亜鉛錯体は青の領域の光を吸収して、黄緑色の蛍光を発します。カドミウム錯体は、やや波長の長い青緑の光を吸収して、黄-オレンジ色の蛍光がでます。できた錯体が安定で、最初のニンヒドリン反応の条件に依存しないので、カドミウムを使う方がお勧めです。蛍光の強度が弱いので、写真を撮るには露光時間を数秒から数分の長い時間が必要です。
オスミウムとルテニウム
指紋の検出に使う試薬として、ニンヒドリン以外にもあります。
四酸化オスミウム(OsO4)は揮発性の酸化剤で、汗に含まれる不飽和化合物と反応して黒くなります。操作は簡単で、ガラス容器に結晶を入れ、その蒸気に触れさすだけです。現像時間は1〜12時間で、dark
grey-blackの指紋が現われます。表面が多孔質であってもよく、ニンヒドリンが反応する紙幣にも有効です。欠点は四酸化オスミウムの毒性です。蒸気を吸い込んだり皮膚に着いたりしても致命的です。
四酸化オスミウムは細胞の電子顕微鏡観察などで染色のために使われるものです。二重結合を含む脂肪酸、たとえばオレイン酸(oleic
acid)は四酸化オスミウムと反応してエステルが生成します。オスミウム錯体は700 nm付近に吸収がありますが、たくさんオスミウムが付くと褐色〜黒色になります。このエステルはその後の処理により、グリコールとオスミウム金属に変化します。
|
オレイン酸と四酸化オスミウムとの反応
|
四酸化ルテニウム(RuO4)の使用も提案されています。反応は四酸化オスミウムと同じで、不飽和化合物と反応します。四酸化ルテニウムは蒸気にならないのが問題で、蒸気にするために108℃に加熱すると爆発的に分解します。蒸気化する方法としては、等量の
0.1% 塩化ルテニウム(III) 溶液と、11.3 %セシウムアンモニウム硝酸塩溶液を密閉された容器中、室温で混合する方法があります。発生する四酸化ルテニウムの蒸気は塩化ルテニウムが酸化されでできたものです。指紋は10〜20分で
dark greyな像になります。
DMAC
DMAC(dimethylaminocinnamaldehyde)はインドールの検出に使われる試薬ですが、汗に含まれる尿素とも反応して色素を与えます。DMACの溶液で処理すると
dark redの指紋がすぐに現れますが、不安定なので直ぐに写真を撮る必要があります。尿素は紙の中を移動しやすいので、72時間以内の新鮮な指紋でないと発色しないが、逆に新鮮な指紋と古い指紋の区別をするのに利用できます。
最近、DMACを175℃に加熱して蒸気にすることができ、用途が広がりました。蒸気にさらした後24時間室温に放置し、490
- 530 nmの光を当て、550 nm以下の光をカットするフィルターを用いて蛍光を観察します。この方法では、三ヶ月前の指紋でも見ることができます。DMAC処理した指紋でもDFOやニンヒドリン反応には使えます。DMAC蒸気法の特徴はニンヒドリンなどが使えない感熱紙でも使えることです。DMACと尿素との反応は明らかではありませんが、インドールとの反応と類似していると思われます。
|
DMACとインドール(Indole)との反応
|
DFO
DFO(1,2-Indanedione) は、アミノ酸と反応して淡いピンクかかった紫色の色素を生成する化合物です。この試薬の特徴は、特に二次的な操作をしなくても室温で強い蛍光を発することと、反応時間が30分以内で短いことです。反応の詳細は分かっていないが、おそらくニンヒドリンと同じような反応と思われます。操作は簡単で、DFOの溶液に漬け、乾燥し、100℃で20分加熱するだけです。蛍光は白色光でも淡いピンク−紫の線が見えますが、530nmで励起すると570-600
nmの蛍光がハッキリ見えます。蛍光の強度は室温でも強く、冷却しても変化はありません。時間が経過すると湿気を吸って蛍光は弱くなりますが、再度加熱すると元の強さになります。DFOはニンヒドリンに比べて2〜3倍強いが、強い光を照射しなければならないのが欠点である。DFOの操作を行った後にニンヒドリンで処理することはできますが、逆にニンヒドリンで処理した後でDFO処理しても効果はありません。DFOはニンヒドリンと同じく、感熱紙などの感熱性のものには使うことはできません。
5-MTN
5-MTN (5-Methylthioninhydrin )は、ニンヒドリンの強い色とDFOや1,2-INDの強い蛍光を合わせたような性質を持っています。5-MTNはニンヒドリンよりも色が濃いので、試薬の濃度が薄くてもよく、3
g/lの濃度で、ニンヒドリンと同程度の色がでます。塩化亜鉛で処理するとニンヒドリンのオレンジ色よりももっと赤みがかった紫色になり、蛍光もDFOより強くでます。
蛍光はニンヒドリン反応の後、亜鉛塩で見られるが、不安定で、条件に依存し、液体窒素の低温にする必要があります。しかし、5-MTNを用いると、蛍光は安定し、室温でも蛍光ははっきり見えます。
5-MTNはニンヒドリンほど非極性の溶媒には溶けないが、DFOよりはよく溶けます。しかし、5-MTNがエタノールとヘミケタールを作ると、5-MTNよりもよく溶けるようになります。このヘミケタールは、紙に塗ると紙の水分により元のニンヒドリン型に素早く戻り、アミノ酸と反応します。
|
溶解度の低い
ニンヒドリン型
|
活性なトリケトン型
アミノ酸と反応する
|
高い溶解性の
ヘミアセタール型
|
5-MTN の試薬組成(1000 ml) |
(1)3.4 grams 5-MTN hemiketal (equivalent to 3 grams 5-MTN)
(2)10 ml acetic acid (99-100%)
(3)25 ml ethanol (absolute: 98% or more)
(4)145 ml ethyl acetate
(5)100 ml MTBE (methyl-tert-butylether)
(6)720 ml petroleum ether |
(1)を[2+3+4]の混合液に溶解し、(5)および(6)を加える。 |
塩化亜鉛試薬 |
(1)30 grams of zinc chloride
(2)500 ml methyl-tert-butylether (MTBE)
(3)20 ml of anhydrous ethanol
(4)10 ml of glacial acetic acid
(5) 500 ml of a hydrocarbon solvent (petroleum ether, pentane, heptane) |
(1)を[2+3]の混合液に溶解し、(4)および(5)を加える。 |
1,2-IND
1,2-Indanediones はDFOと同じく最初は淡いピンク色ですが、緑の光を当てると強い蛍光を発します。蛍光の強さはDFOと同じぐらいですが、安価で溶解性が高いことから、実際の指紋検出によく使われます。しかし、溶液を調整して数週間以上経つと、不活性な物質に変化するので注意が必要です。ただし、固体では非常に安定です。
ニンヒドリンと同様に、塩化亜鉛で処理すると色素が安定し蛍光が強くなります。また、液体窒素で冷却すると蛍光はさらに強くなります。
ニンヒドリンやDFOではリサイクル紙でも指紋が検出されますが、INDでは検出が難しいという例と検出されたという例があります。
感熱紙は加熱したりアセトンやエタノールなどの有機溶媒を用いると黒くなるので、ニンヒドリンやDFOでの指紋の検出は困難です。しかし、INDは感熱紙の指紋の検出に使われています。
試薬の調整(1000 ml ) |
(1)0.25 g 1,2-indanedione
(2)10 ml glacial acetic acid (99-100%)
(3)90 ml ethyl acetate
(4)900 ml petroleumether |
(1)を[2+3]の混合液に溶解し、(4)を加える。 |
5-MTNで使われたpentane and heptane の代りに石油エーテル(petroleum ether)が使われています。
発色には100℃で10分加熱します。生成した色素は光に対して不安定で、暗所での保管が必要です。写真撮影で緑の光を当てても、蛍光強度の減少は一時的なもので、暗所で一晩放置すると元に戻ります。
感熱紙の指紋
感熱紙はファックス紙、キップ、駐車場の券などいろんなところで使われています。感熱紙は熱により黒くなりますが、アセトンやアルコールなどの極性有機溶媒によっても黒くなります。ニンヒドリンやDFOは極性溶媒に溶解されているので、感熱紙が黒くなってしまいます。感熱紙の指紋を検出する方法にはつぎのようなものがあります。
(1) 1,2-IND ( 2 g/l solution in HFE-7100 containing 7% ethyl acetate) は、感熱紙が黒くならず指紋が検出できる。写真撮影にはキセノンランプ(ポリライト、Polilightなど)を用いる。 |
(2)DMAC (dimethylaminocinnamaldehyde) の蒸気は感熱紙の指紋と反応する。蛍光の写真は緑の光(Polilight, around
530 nm)を用いる。 |
(3)濃塩酸の蒸気(HClガス)に曝すと、感熱紙の指紋が現れる。この方法では感熱紙は発色しない。 |
(4)普通のニンヒドリン溶液で処理し、十分に時間を経てから、アセトンでリンスして文字などを除く。 |
(5)ニンヒドリンをヘミケタールとすると、石油エーテルなどの非極性溶媒に解けるようになる (ThermaNinと呼ばれている)。この溶液は感熱紙を黒くしないので、指紋を検出できる。 |
ニンヒドリン・ヘミケタール
ヘミケタール自身はアミノ酸と反応する活性はなく、紙や空気中の水分と反応してニンヒドリンに変化してからアミノ酸と反応します。変化は、同時にできるエタノールの匂いで分かります。ヘミケタールは不安定で、調整してから長期間経つと分解してしまうので、永くとも1-3週間以内に使用する必要があります。しかし、固体のヘミケタールは密封しておけば比較的安定です。
|
ニンヒドリンとヘミケタール
|
試薬の調整は、0.4 gのヘミケタールを100 mlの石油エーテルに加え、よく振って溶解させる。すこし温める(30-40℃まで)
と、よく溶けるようになる。試薬の保存にはプラスチックやアルミの容器がよく、ガラス容器は表面に水分が多く吸着しているので、寿命が短くなる。指紋の検出には室温で行い、加熱してはいけない。加熱すると感熱紙は黒くなる。また、極性溶媒が使えないので、塩化亜鉛による処理も行えない。
|